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「特別な時間だった」栄養士に興味を持ったリハビリ生活。
幼少期は人見知りな子供だったと思います。初めて会った人とも全然話せなかったので、母からはよく「挨拶しなさい」と言われてたのを覚えています。一方運動は、もともとクラスで一番くらいに足が早かったので、中学では陸上部に入りました。ただ、周りが早い人ばかりだったので「なんか球技も好きだから」という理由で砲丸投げに転向してました。単純なんです(笑)
栄養士を目指すきっかけになったのは、病院の食事でした。高校2年生の時に、部活で怪我をして入院することがあったんです。その時のリハビリが本当にきつくて…唯一の救いで楽しみだったのが食事。痛くて辛いリハビリ生活の中でも、食事は私にとって特別な時間になっていたんです。私もこんな美味しい食事で、リハビリで苦痛に苛まれている患者様たちを助けたい。そう思ったのが、栄養士を目指す最初のきっかけでした。
管理栄養士は一生もの。はじめは四大で学ぼうと思っていた。
実は私、はじめは4年生大学で管理栄養士をとることを目指していたんです。高校時代は「将来は栄養士になる」と言うほど明確に将来を決めていなかったので、経済学部のある大学なども検討はしていました。そんな中、やっぱり「管理栄養士は国家資格で一生もの」というのが決め手になって、最終的には食物栄養系に進もうと思ったんです。それで、四大で管理栄養士がとれる中村学園大学を受験したんですが、落ちてしまって。浪人という選択肢はなかったので、「栄養士がとれる!」という理由で香蘭に進むことにしたんです。
入学して最初は奇抜な人が多い印象をもっていたので、仲良くなれるか不安がありました。でも、気づいたら友達もすぐにできて安心しました。香蘭の同級生とは、今でも連絡を取り合って遊んでいます。
香蘭でしっかり学び、四大への編入が実現した。
入学時から香蘭で2年間しっかり学んで、「卒業後は当初の夢である管理栄養士になるために、四大に編入しよう」と考えていました。香蘭での授業は大変で、特にレポートは苦労したのでいつも友達と図書館にいって調べたり、夜9時まで研究室にいてレポートを提出したりしていました。
編入に向けて2年生の夏休みから本格的に勉強をはじめたんです。夏休み前に食物栄養学科の宮崎先生に「研究室で勉強していいですか?」ってお願いしたら、快くOKしてくれました。そこから毎日先生の研究室で、過去問などを解いていました。正直、合格できるかプレッシャーも大きかったんですが、同じように編入を考えている学生や、見守ってくれた先生の存在もあって無事に合格し、香蘭卒業後、大学受験で失敗した中村学園大学に編入することができたんです。想いをもって頑張れば、大学受験で失敗した大学でも再度挑戦して編入できるということが私自身の実体験でわかりました。
食物栄養学科 卒業生 福本さん
福岡県出身。香蘭を卒業後、中村学園大学に編入し管理栄養士を取得。現在は薬剤系企業に勤務。最近ハマっていることはペットで飼っているウサギとリスをみて癒されること。